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<title>初めてのWebページ</title>
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投稿者: cre-noa
エンジニア思考は、日常生活でもやっぱり面倒である
〜「なぜか話が通じない」は、家庭内でも発生する〜
この思考は、生まれつきのものではないかもしれない。 なにせ3歳の頃からコンピュータという「論理の塊」に触れ、おまけにコーディングという「物事を順序立てて効率的に動かす遊び」に興味を持ってしまったが故に、半ば強制的に根付いてしまった思考なのだ。
だから、まずお断りしておきたい。 ここに書くのは、「エンジニア」という大きな主語の話ではなく、あくまでそんな環境で育った「とある一個人」の思考のクセであり、一個人の意見として、どうか軽い気持ちで流してほしい。
先日、ITトラブルの現場で「根本原因」を追求したいエンジニア思考が、いかに「共感」を求める相手とすれ違うか、という話を書いた。
だが、残念なお知らせがある。 あの「面倒な思考」は、仕事のPCをシャットダウンしても、私たちの頭からログアウトしてはくれない。
そう。それは日常生活、特に「夫婦生活」という、最もロジックが通用しない戦場(?)において、さらに複雑な問題を引き起こすのだ。
Case 1:買い物の「最適ルート」vs「寄り道のロマン」
スーパーでの買い物。 私たちにとって、これは「必要なリソースを最短の工数で調達するプロジェクト」だ。
- エンジニア思考:
- (入店前に買い物リスト(=要件定義)を確定)
- 「まず野菜コーナー、次に肉、最後に牛乳…このルートが最短だ」
- 「あ、特売だけどウチの在庫(冷蔵庫)と重複するな。不要」
- ミッションコンプリート(滞在時間:7分)
しかし、パートナーは違う。
- パートナーの思考:
- 「あ、シャインマスカット美味しそう!」(要件定義外のタスク発生)
- 「このドレッシング、新発売だって」(仕様変更)
- 「なんか小腹すいたからお菓子も…」
- ミッションコンプリート(滞在時間:25分)
この「非効率な寄り道」と「衝動的な仕様変更」は、私たちをイラつかせる。 「なんでリストにないものを買うんだ?」「さっき通った通路だぞ?」 この「正論」が、相手の「買い物の楽しみ」という感情的な体験を、いかに害するかを想像せずに。
Case 2:「問題解決」で殴る夫(妻)と、「共感」が欲しい妻(夫)
これは、ITトラブル編の完全な応用編だ。
パートナー:「今日、職場でAさんにこんなこと言われて、本当にムカついた!」
さあ、エンジニアの出番だ。
- エンジニア思考:
- (トラブル発生。状況を分析開始)
- 「それは、君が先にBさんにそう言ったのが原因じゃないか?」(=原因の切り分け)
- 「Aさんの性格を考えると、今後はこう伝達すれば回避できるはずだ」(=解決策の提示)
- 「そもそも、その業務フローに問題がある」(=根本原因の特定)
パートナー:「……もういい!!」
なぜ怒られるのか。 私たちは、相手が抱える「問題」を真剣に分析し、再発防止策まで提案したというのに。
答えは明白だ。 相手が求めていたのは「解決策(ソリューション)」ではなく、「大変だったね(共感)」という**無条件の「同意(承認)」**だったのだ。
私たちは「問題」を解決しようとし、相手は「感情」を共有しようとした。 家庭内での会話は、多くの場合、「報告」ではなく「感情の発散」が目的なのである。
Case 3:旅行計画と「分刻みのバッファなしスケジュール」
旅行は、私たちにとって「プロジェクトX」だ。
- エンジニア思考:
- 9:15 新幹線到着 → 9:22 在来線乗り換え(バッファ:7分)
- 10:00 レンタカー(予約済)→ 11:30 〇〇寺(滞在時間:45分)
- 12:15 昼食(口コミ4.2、予約済)
- …すべてが完璧なタイムライン。
しかし、現地では予測不能な「障害(インシデント)」が多発する。 「道が混んでる」「あのお土産屋、寄りたい」「なんか疲れたからカフェ入ろう」
この「仕様変更」に対応できず、私たちはフリーズする。 「スケジュールが押している!」「ここでカフェに入ると、次の〇〇に行けなくなるぞ!」
パートナーは「旅行(体験)」を楽しみたいのに、私たちは「スケジュール(計画)」を遂行することに必死になってしまう。 「楽しむ」という目的が、「計画通りに進める」という手段にすry(すり)替わってしまうのだ。
私たちは「非効率」を愛せるか
この「面倒なエンジニア思考」は、私たちの強みでもある。 家計を最適化し、家のネットワークを安定させ、物事を効率的に進めることで、生活の基盤を支えている自負もある。
しかし、日常生活や夫婦生活とは、「効率」や「ロジック」の外側にある「無駄」や「感情」を楽しむものでもあるらしい。
「非効率な寄り道」を、「新しい発見」と捉えられるか。 「ロジックゼロの愚痴」を、「ただの放電」として受け流せるか。
私たちの「エンジニア思考」が試される、本当の戦場は、どうやら家庭(プライベート)にあるようだ。
…ああ、やっぱり、面倒である。
エンジニア思考は面倒である
まずお断りしておくと、「エンジニア」という言葉は、「男」とか「女」とか言うのと同じくらいに主語が大きい。ここに書くのは、あくまで「とある一エンジニア」の思考のクセであり、一個人の意見として、どうか軽い気持ちで流してほしい。
なぜ「私のせいだ」と主張する友人と、「いや相手の問題だ」と分析する私は、すれ違うのか。
私たちの思考は、常にいくつかのパターンを試行するようにできている。何事も、まず選択肢として考えるクセがあるのだ。
それは多くの場合、物事を正確に進めるための「強み」だ。しかし、時として、この思考法が「面倒なこと」を引き起こす。
特に、非エンジニアから「答えは一つ」であることを期待される質問を受けた時だ。
「通知が届かない」に潜む、無数のシナリオ
先日、ある人にこんな相談を受けた。
「3日前にiPhoneを買い替えてLINEを移行したの。そしたら、特定のAさんにだけ、私からのLINEの通知が届かなくなっちゃったみたい」 「でも、AさんがLINEを開いてる時は(通知じゃなくて)普通にメッセージが来る。Aさん曰く、通知が来ないのは私からだけ、って」
そして、彼女はこう結論付けた。 「3日前に機種変したのが原因だよね? なんで?」
この瞬間、私たちの頭の中では、瞬時に複数のシナリオが分岐し、その「切り分け」が始まる。
エンジニア(私)の思考プロセス:
- 事実確認:メッセージは「届いている」(Aさんがアプリを開けば見れる)。
- 問題の特定:問題は「メッセージの送信」ではなく、「Aさんの端末へのプッシュ通知」だけである。
- 切り分け1:「Aさんだけ」に起きている。
- → 送信側(友人)の全体的な問題である可能性は低い。
- 切り分け2:Aさんが「アプリを開いている時」は受信できる。
- → 送信側(友人)の回線やアカウントがブロックされている可能性も低い。
- 結論:これは「Aさん(受信側)の端末」で、友人(送信側)の通知だけをサイレントにする「設定」がされている問題である。
導き出される仮説(選択肢):
- 仮説A(最有力):Aさんが、友人のトークルームを「(うっかり)通知オフ」に設定している。
- 仮説B(次点):AさんのiPhoneの「集中モード」が、友人からの通知だけを許可していない。
- 仮説C(可能性・低):「3日前の機種変更」は、この問題とたまたま時期が重なっただけの「偶然」である。
「答え」が欲しい人と、「原因」を探る人
しかし、友人は専門家ではない。当然、この複雑な思考の分岐を求めてはいない。 彼女が欲しいのは、「機種変した私のせいだ」という自身の仮説への「同意」と「解決策」だ。
ここで、悲劇が起こる。
私たちが「うーん、それは多分、あなたのスマホじゃなくて、Aさん側の問題だと思うよ」と、論理的に正しい(そして最も解決に近い)分析を口にした瞬間、相手はそれを拒絶する。
「絶対私が機種変したことが原因だって! docomoのせいだよね? だって最近、回線の不具合って言われてるから!」
彼女の思考は、私たちの分析とはまったく違う場所にある。
- 友人のロジック:「機種変」と「不具合」が同時に起きた → だから「機種変(とdocomo)」が原因だ。
- 私たちのロジック:「メッセージ自体は届いている」 → だから「docomo(通信)」が原因である可能性はゼロに近い。
私たちが「いや、通信ができてるならdocomoは関係ないよ。Aさんに通知設定を確認してもらって」と正論を言えば言うほど、相手は「でも!」「だって!」と感情的になっていく。
エンジニアの「誠実さ」が「面倒」に変わる瞬間
これほど、納得のいかないことがあるだろうか。
私たちは「知っている」からこそ、「送信」と「通知」は別物だと切り分ける。「知っている」からこそ、問題の本当の震源地(=Aさんの端末)を特定しようとする。
それが、相手にとっては「話をややこしくする人」「私の不安をわかってくれない人」に映ってしまう。
相手が欲しいのは「原因究明」ではなく、「そうなんだ、機種変って大変だね、docomoのせいかもね」という**「共感」と「(間違っていてもいいから)分かりやすい敵」**だったのだ。
私たちの「正確さ」や「論理的誠実さ」へのこだわりが、皮肉にもコミュニケーションの壁になる。 ああ、エンジニア思考は、本当に面倒である。
ワークアラウンド:「プロの技」と「時間経過」の現実
さらに話をややこしくするのが、「ワークアラウンド(一時しのぎ)」の存在だ。
断っておくが、**ワークアラウンドは、エンジニア’界隈’に生きるエンジニアにとって、非常に重要な「プロの技術」**である。
サービスが停止した時、ユーザーを待たせたまま根本原因を調査するのではなく、まずは「再起動」や「一時的なパッチ適用」などで迅速にサービスを復旧させる。そして、動いている裏でじっくりと根本原因を特定・解消する。これは、被害を最小限に抑えるための、最も合理的で高度な判断だ。
面倒なのは、この「ワークアラウンド」が、「根本解決」と誤解される時である。
非エンジニアが(意図せず)行った再起動などで「偶然、一時的に治ってしまった」場合、彼らにとってはそれが「解決」になってしまう。
根本原因が残っていても、彼らは「治ったからもういい」と調査を打ち切ってしまうのだ。
そして、何よりも。 この種のITトラブル、特に「通知が来ない」「同期がズレる」といった類の問題は、時間経過や、何か別のトリガーによって、自然に解消することがよくあるのだ。
- サーバ側の一時的な不具合が、いつの間にか解消された。
- 夜中の自動アップデートで、何かがリセットされた。
原因は特定できないまま、数日後には「あ、なんか治ったみたい」とケロッと言われる。 この「原因不明のままの解決」は、根本原因を突き詰めたいエンジニアにとって、ある意味、敗北だ。
だから、本当は「Aさん側の設定を見て」と言う代わりに、 「うーん、よくわからないけど、2〜3日待ったら何かの拍子に治るかもよ?」 と答えることもできる。
実際、それが一番現実的かもしれないと、心のどこかで分かっている。
でも、それを口にすることはできない。 「専門家なのに投げやりだ」と誤解されるのが目に見えているし、何より、原因を特定できないモヤモヤを抱えたままにするのは、私たちの「エンジニア思考」が許さないのだ。
正確な「原因」を追求したい自分と、「待てば治るかも」という「経験則」を知っている自分。 そして、そのどちらも受け入れられない「今すぐ答えが欲しい」相手。
ああ、やはり、エンジニア思考は面倒である。